
99%以上の光を透過する、圧倒的な“見えなさ”。アートや車載ディスプレイにも活用される新素材「モスマイト™」とは
2024.09.10
/ Business Insider Japan掲載記事
※本記事の内容、所属・役職等は取材当時のものです。
まるで見えないアクリル板を実現
戦略的経営の父と称される経済学者、イゴール・アンゾフ。彼が提唱した「製品−市場マトリクス」のひとつに「多角化(新規市場×新規商品)」がある。上手くいけば成長の起爆剤になるが、成功させるのは容易ではないカテゴリーだ。
三菱ケミカルグループの反射防止フィルム「モスマイト™」は、技術のシーズ(種)から開発された製品。アクリル板の両面に貼ることで透過率が高まり、まるで透明に見える。「飛び地」での多角化により、アートシーンからモビリティなどの工業製品まで多用途に展開し、社会実装を進めている最中の注目技術である。
モスマイト™が実現するアートの可能性、そして、プロダクトの進化について、三菱ケミカル スペシャリティフィルムズ本部 戦略企画部 モスマイトグループ 日比敬氏と、世界最大級の家具見本市であるミラノサローネにモスマイト™を活用した作品『光をそそぐ』を出展したStudio POETIC CURIOSITYの青沼優介氏、三好賢聖氏に話を聞いた。
光の透過率99%以上で「まるで見えない」アクリル板を実現
僅かな月明かりでも正確に飛ぶことができる蛾。その秘密は、蛾の目(モスアイ)の表面を覆う微細な凹凸にある。この凹凸はモスアイ構造と呼ばれ、凹凸の凸部、つまり突起に光が当たった際、平面と比べると屈折率がなだらかに変化するといった特性がある。
屈折率の変化が急であれば光の反射率も多くなるが、モスアイ構造は屈折率の変化がなだらかなので光の反射率が少なく、結果として透過率が高くなる。透過率が高ければ、それだけ多くの光を取り込めるので、月明かりのような弱い光でも蛾には明るく見えているのだ。
「モスマイト™」は、このモスアイ構造を模倣して開発されたバイオミメティック(生物模倣)材料。ガラスやアクリル板の両面に貼ることで光の反射を防止するフィルムである。三菱ケミカルグループでモスマイト™の開発・販売の責任者を務める日比敬氏はこう語る。

「モスマイト™の突起は高さ約200nm、ピッチは約100nmです。1nmは1mmの100万分の1なので、1mm²の面積に突起が1億個並んでいることになります。アクリル板の光の透過率は92%ですが、アクリル板の両面にモスマイト™を貼ると99%以上に高まります。それは、まるで板が存在しないかのような錯覚を覚えるほどです」(日比氏)
モスアイ構造は、1960年代に電子顕微鏡が発明され、蛾の目を拡大したことで発見された。光を反射しない究極の反射防止フィルムを作るには、微細な凹凸からなる突起構造を活用すればいいことは分かっていたが、技術的な課題から実現しなかったという。
三菱ケミカルグループが「モスマイト™」の実現に向けて動き出したのは、2000年代の後半だ。研究開発担当が陽極酸化で金型に微細なナノホールを形成する技術があることを突き止める。
その技術を保有していた社外の研究機関と共同で「陽極酸化によるアルミナナノホール形成法」を開発した。「モスマイト™」の誕生である。ちなみに、陽極酸化とはアルミニウムの表面に人工的な酸化被膜を作る技術で、一般的にはアルマイト処理と呼ばれる。モスマイト™のモスは英語で蛾を意味するモス、マイトはアルマイトが由来だという。

「アルマイト処理で使用する電解液に何を使うか、電圧や濃度、温度、時間はどうするか。さまざまな条件を制御することで、ロール形状の巨大なアルミニウムの金型に規則性のあるナノホールを形成する技術を生み出しました。
金型に形成されたナノホール形状をフィルムに転写するには、UVナノインプリントと呼ばれる最先端のナノテクノロジーを使います。これは、金型と基材フィルムの間に紫外線で硬化する樹脂液を流し込み、紫外線を照射して硬化する手法で、フィルム表面にモスアイ形状を継ぎ目なく賦与することでモスマイト™が完成します」(日比氏)
これまでも、コーティングや蒸着と呼ばれる方法の反射防止フィルムは製造されてきたが、それらと比較すると、モスマイト™はより広い波長域で低反射にできること、そして、視野角が広いという2つの特徴がある。人が認識する波長域である可視光領域で、かつ、広い角度から見ても低反射なので、アクリル板の両面にモスマイト™を貼ると、映り込みがほぼ発生しなくなり、まるで板がないように見えるのだ。

没入感という観点からアートとの親和性が高いモスマイト™

モスマイト™を使ったアート作品が、『光をそそぐ(Pouring Lights)』シリーズのフロアランプ。Studio POETIC CURIOSITYの青沼氏は「イメージは、雲間から差し込む光の筋を再現するような照明です」と語る。いわゆる、天使の梯子や光芒と呼ばれる自然現象だ。

「たどり着いたのは、256本の絹糸を均等に張り、上部から光を当てる手法です。一見すると淡い光の束が浮いているように見えるのですが、絹糸の一本一本に光が当たっているので、目をこらしてみると透けていて奥まで見通せる。そこにあるようでないような存在感を表現できました。
難しかったのは、絹糸自体は構造体にならないので、周りをアクリル板かガラスで囲む必要があることです。アクリル板やガラスは顔や手が映り込んでしまい、淡い光に没入できなくなります。なにより、支えている壁が可視化されると作品自体が野暮ったい。淡い光と浮遊感を生み出すには、なるべく壁を意識させないことが、作品の重要なポイントでした。
そういった状況で出会ったのがモスマイト™。これならば、絹糸が浮いているような照明を作れるかもしれないと思い、採用しました」(青沼氏)
三好氏はモスマイト™の話を聞いてもにわかには信じられなかったという。「見えないというより、反射が少ない程度だと思っていました」と当時を振り返る。しかし、実際のモスマイト™を見て驚愕したという。

「モスマイト™を貼ったアクリル板は正面から見ても、まるで板がないかのようでした。実際に触って、そこにあることが確認できる。この驚きは言葉では伝わらず、自分の目で見ないと理解できないと思います。実際、ミラノサローネの来場者も同じように驚いていました。
『光をそそぐ』の構造体は直方体ですが、仕様上、モスマイト™を貼ったアクリル板は三面しか使っておらず、残り一面にはなにも設置されていません。しかし、多くの来場者が何もない箇所とモスマイト™が貼られたアクリル板との違いに気付くことができませんでした」(三好氏)
このように、モスマイト™とアートは、親和性が高い。すでに、絵画の額装では多くの採用事例があるという。
「有名な絵画にペンキなどを投げつける事件も起こっています。そういったこともあり、芸術品を守るにはアクリル板などで保護をした方がいいのですが、一方で光の反射や映り込みが鑑賞の邪魔になってはいけない。その点、モスマイト™は作品の保護と鑑賞を両立する素材だと考えています」(日比氏)
青沼氏は、「絵画だけでなく彫刻などでも活用できる」とアイデアを膨らませる。
「ガラスケースに収納して展示されている彫刻作品もありますが、どうしても阻まれている感覚が拭えません。美術作品には独特の存在感、素材感があります。作品に没入してこそ、初めて作品と対面できる。美術品を守っているけれど没入の邪魔にならないことは、鑑賞する際に重要なポイントになります」(青沼氏)
車載ディスプレイや医療用ディスプレイへの採用で安全にも寄与

アートとの親和性が高いモスマイト™だが、それだけではなく、さまざまな工業製品に活用されている。現在、最も需要が多いのは車載ディスプレイだ。高級車のカーナビやメーターに使われており、コントラストが上がることで視認性が高まり、安全性にも寄与するという。
「ほかにも、医療用モニターに採用が進んでいます。モニターにカバーを付けて使用することが多いのですが、カバーを付けると反射が起こってしまいます。反射による病変の見逃しを防ぐために、モスマイト™を使う事例も増えています。
『また、駅のホームにある電光掲示版や電車の扉上に設置されているディスプレイにも使われています。コロナ禍では、顔を見えやすくするためにテレビ局など撮影現場や議会などで使われていたアクリル板にも採用されました」(日比氏)
実は、モスマイト™には弱点もある。それは、微細な凹凸があるが故に、指紋がつくと皮脂が凹みに入り込むことだ。乾拭きでは取れずに水やアルコールで清掃する必要がある。つまり、人が触るところには適さないのである。
「最初に狙っていたのは、大型テレビのディスプレイでした。採用されればスケールも大きい。しかし、画面を触ってしまうこともある。結局、人が触らない箇所やディスプレイの内側をターゲットに市場を開拓し、カーナビやメーターに活路を見出しました」(日比氏)
イノベーションは、社会実装されて利益を上げることが重要
モスマイト™は広い波長域で低反射が可能で、視野角が広いという特徴がある。その特性から、近赤外線を照射して、その反射光の情報をもとに対象物までの距離や対象物の形などを計測する自動運転に使われるLiDARカバーなどでも活用が期待されている。また、VRデバイスに採用することで、さらなる没入感の獲得も考えられる。すでに、国内外の開発担当者からサンプル依頼が来ているという。また、青沼氏と三好氏は、アーティストの観点から、今後の可能性に言及する。
「百貨店のショーウィンドウなどに使えば面白いのではないでしょうか。モスマイト™で境界がなくなることで、ディスプレイされた幻想的な世界が外の世界に染み出してくる。商業施設の店舗のガラス部分に使うのもいいでしょう。彩り豊かな店舗内装が景観に染み出して、街の個性が際立ちそうです」(青沼氏)
「水族館の水槽に使うと、水と魚が外の世界に急に存在するような不思議な見え方になりそうです。水槽を見るのではなく、水そのものが目の前に存在するかのような体験ができるのではないでしょうか」(三好氏)
日比氏は、「アーティストの方と話をすると、我々が予想だにしない使い方を提案してくれます。今後、モスマイト™がさらに広がれば、市場から新たな使い方が生まれるかもしれません」と嬉しそうに語る。
経済学者であるイゴール・アンゾフが提唱した『製品−市場マトリクス』に当てはめると、モスマイト™は「多角化(新規市場×新規商品)」に該当する。日比氏は、「モスマイト™はニーズ起点の製品ではありません。シーズをどのように世の中に当てはめるかを考えて、技術を活かせる市場を開拓し実装していきました」と語る。まさに、実用化が進んでいるイノベーションといえるだろう。最後に日比氏は、このように想いを述べた。
「世の中の変化は非常に速く、新製品も次々に誕生しており、その中で常に新素材も求められています。従来の常識を覆す素材は、世の中を変える一助となり、社会課題の解決にも貢献しています。一方で、社会に貢献するには、社会に実装されて利益を生み出すことが重要です。これから広く世の中に普及していく新たなアプリケーションを開拓し、モスマイト™を通じて社会に貢献していきたいと思います」(日比氏)

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モスマイト™